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京都の霊能者 龍戒

ARCHIVE PAGE: 2016年08月

六道珍皇寺 京都祇園四条界隈~東山を歩くその3

六道珍皇寺古来、風葬の地として知られていた鳥野辺。かつて五条通であった門前の松原通は鳥野辺へと亡骸を運ぶ際の道路であった。現世から冥界へ行く際の入り口とされた当寺の界隈には様々な伝説が残る。平安時代には五条坂~今熊野の阿弥陀ヶ峰の麓一帯は鳥野辺と呼ばれる京の東に位置する葬送の地であった。そこへ至る道筋にあたる六道珍皇寺にて野辺の送りの法要を行い、この地で最後のお別れが行われた。上記の風習のためか、...

京都 恵比須神社 

恵比須神社 祭神事代主神少彦名神大国主神社伝によれば、1191年栄西禅師が宋からの帰途の際に舟が暴風雨に遭って遭難しそうになった。すると海上に恵比須神が現れ、加護を受け、遭難を免れたという。1202年に建仁寺創建に当たり、境内に恵比須神を祀り、建仁寺の鎮守社としたのが当社の起こりである。応仁の乱後の再建時も同所に再建され、今もなお当地の産土神として人々の崇敬を集める。毎年1月10日を中心として前後5日間行われ...

邪気・因縁が絡む強烈なクラスの霊障について

今月は強烈なレベルの霊障をお持ちの方のご依頼がなぜか複数件集中いたしましたので、ちょっと記したいと思います。霊障というのは通常であれば、1度で解消することができるものです。しかし、複数の要素が絡み合った場合には2度、3度かかることがあります。今回タイトルにいたしました強烈なクラスというのがそれです。具体的には邪気+悪霊+刀の因縁大量の邪気+刀の因縁といった状態です。残念ながら、この場合は何回かに分...

興雲庵 豊川稲荷陀枳尼尊天 京都祇園四条界隈~東山を歩くその2

三条通り~建仁寺にかけて続く祇園の花見小路通祇園の歓楽街を貫く華やかな道です。その道を建仁寺まで行き、建仁寺境内の北西に興雲庵があります。そちらにお祀りされているのが陀枳尼尊天(豊川稲荷)です。当寺の鎮守稲荷である陀枳尼尊天は江戸時代初期に活躍した建仁寺の高僧三江紹益禅師(1572-1650)の父厳慈母が深く崇神した霊神である。逸話跡継ぎがいなかったために父母は大変真剣になって祈願したところ、満願の暁、金...

仲源寺(目疾地蔵) 京都祇園四条界隈~東山を歩くその1

この日は阪急河原町駅を降りてのスタート。スタート地点の四条大橋を渡りきったところからパシャリ。まっすぐ進んでいくと、本日一社目の寺社が現れます。仲源寺浄土宗に属する寺院で一般に「目疾地蔵」(めやみじぞう)の名で親しまれている。平安時代の1022年に仏師定朝が四条橋の東北に地蔵菩薩を祀ったことに由来。1228年の鴨川氾濫の時に勢多判官中原為兼(せたのはんがんなかはらためかね)が防鴨河使(ぼろかし)になった際...

可愛いオーブが映り込みました

洛西ののどかな田園風景を撮影しておりましたら可愛らしいオーブが撮れました。太陽を撮影すると、可愛らしいオーブが出現です(^-^)/...

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通勤中におなかの調子が悪くなる ストレス性疾患は霊障の疑いも

霊障はさまざまな問題を引き起こします。本日はおなか(腸)の不具合についてです。一般的には緊張などの強いストレスを頻繁に受けるとおなかがゴロゴロしてきてたり、腸の調子が悪くなったりしますよね。通勤の最中にそれが起こると、電車を途中で降りてトイレにかけ込むといった負担を強いられます。会議中などに同様のことが起きたり、おなかが頻繁にゴロゴロ鳴ると周囲の目が気になって、さらなるストレスを受けてさらに症状が...

五條天神宮 烏丸四条~五条界隈を歩く その5

五條天神宮祭神大己貴命少彦名命天照大神社伝によれば、794年に桓武天皇の平安遷都にあたり、大和国宇陀郡から天神を勧請したのが当社の始まりという。当社は「天使の宮」と称したが後鳥羽天皇の時代に「五條天神宮」と改めた。初めは社域も広かったが、度重なる火災により狭まっていった。1864年の蛤門の変によって社殿は焼失し、現在のものは近時に再建したものである。古来、医薬・まじないの神として広く崇敬され、節分の時に...

新玉津島神社 烏丸四条~五条界隈を歩く その4

新玉津島神社 当社は1186年に後鳥羽天皇の勅命により、藤原定家の父で歌人として名高い藤原俊成が、五條大路(現松原通り)烏丸から室町にかけての自分の邸宅地に、和歌山県和歌浦の玉津島神社に祀られている歌道の神「衣通郎姫」(そとおしのいらつめ)を勧請したことに由来する。遡ること3年前ぼ1183年に後白河法皇の院宣により、俊成はこの邸宅を和歌所として「千載和歌集」の編纂を始めた。その年に木曽義仲(源義仲としても...

平等寺(因幡薬師) 烏丸四条~五条界隈を歩く その3

平等寺(因幡薬師) 997年、因幡(現在の鳥取県)国司・橘行平が、任を終えて帰京の途中、夢のお告げに従って因幡賀留津の海中から引き揚げ、安置しておいた薬師如来像、行平の後を追って京都に飛来したといわれ、行平は1003年に自宅を改造してこれを祀ったと伝えられている。この霊験談は広く親しまれ、歴代天皇をはじめ一般市民から深い信仰を受け、1171年に高倉天皇により「平等寺」と命名された。堂舎は度々火災に遭い、寺域...